ぽんすけ成長日記その2「涙を」
ひとりです。
毎朝の見送りはぼくの仕事のひとつです。
ぽんすけはいま5歳になったところですが、保育園の登園が本当に苦手で、
ほぼ毎朝泣きわめいていました。
4歳の後半、つい先日までのことです。
本当に今生の別れ!ここで離れたら地獄に落ちてしまうのにどうしてくれる!!…と、そういう勢いで泣きわめき、
ぼくは涙を飲んで、「今日会社休みます」と某マンガのタイトル通りに会社に電話しそうになるのをすんでのところでこらえ、
無慈悲に保育園を去るしかありません。
「置いていかないで」
「ひとりにしないで」
「だれも遊んでくれないの」
と言われると本当につらくてつらくて…。
登園中はいろいろとお話しして楽しい時間でもあるのだけど、
保育園が近づくにつれてみるみるテンションが下がっていく。
父にとって苦しみに耐える時間でもありました。
帰りはだいたい妻が迎えですが、
ぼくが早く帰れる日や午後休のときはぼくが迎えに行きます。
そんなときは、朝とはきっと逆に、
迎えに行った瞬間にパァっと顔を明るくして、
「おとうさ〜ん!!」
と笑顔で駆け寄ってくるはずなのです。
今していたなにがしかの行為はなかったことかのように放られ、
その年齢としてはオリンピック級であるはずの速度でぼくに駆け寄り、
4、5メートルは優に超える跳躍を経てぼくの胸に飛び込み、
ぼくはその弾丸のような彼女を、父にのたくましさ※ でもって受け止め、
ふたりは数時間もの永きに渡る隔離を乗り越えて
再び出会うことができた奇跡に酔いしれ、
枯れ果てるほどに互いに泣きじゃくるのです。
そういうはずなのです。
そういう、別れ方をしたはずなのです。
ぼくたちは。
しかし、どういうことでしょうか。
上記のような再会を想像しながら、意気揚々と迎えに行くと浴びせられる、
「もっと遅ければよかったのに」
という無慈悲な言葉。
もっと遅ければよかったのに。
もっと遅ければよかったのに。
なんなら、来なければよかったのに。
お母さんがいいのに。
あるいは、もっとイケメンでお金持ちで高身長で、最終学歴は海外の大学院で、優しくて頭が良くてウィットに富んで常に家族を笑わせてくれて、汗からも軽くさわやかな香りがするくらいのいい匂いでおっさんというよりはいいおじさまって感じの人がお父さんだったらよかったのに。
うわあああああ!!
そんな五段活用すら妄想してしまう「もっと遅ければよかったのに。」という一言。
あまりに無慈悲です。
しかし、ふたつのことを思います。
きっとぼくより長い時間を娘とともにするぼくの妻は、こういう小さな傷つきを幾度も経験しているのでしょう。
妻が口に出さないような小さな傷つきに、知らなかったからという理由で無自覚でいてはいけないと思いました。
それから、親のいない間、子は勝手に楽しんでいるのだということ。
親はなくても子は育つ。
もちろん全身全霊をもって子どものことを愛さねばならぬと思うけど、
その一方、子どもは親の庇護下で管理されすぎないほうがよいのでしょうね。
親が親自身のつらさを乗り越えて、子どもを自分の身から剥がして行くことも、ときに必要なんでしょうね。
色々危険もある時代なので、慎重に慎重に…。
※ぼくは身長173センチに対して体重58くらいのヒョロ男です。父のたくましさというのは、あくまでも概念の話です。